ふと通りかかった、住宅街の地蔵尊。何でもない日常の中で何となくおみくじを引いてみた。【粕谷村地蔵尊】
今回は、取材途中にふと通りかかった【粕谷村地蔵尊】のお話。
それは、粕谷区民センターに程近い、三角地帯のバス停の横にありました。
というより、明らかにバス停の方が後からできたんでしょうね。
そしてこの三角地帯も、古くからあった不動尊を避けて道路整備をした結果なのかもしれません。
住宅街のただ中にあるにしては、かなり立派な造りです。
お地蔵さんが五体、いえ五尊鎮座しています。
お地蔵さんというのは、正確には地蔵菩薩といい、サンスクリット語では「クシティ・ガルバ」。
直訳すると「大地の母胎」という意味になるそうで、釈迦が入滅してから56億7000年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)において苦悩する衆生を救ってくれるという、非常に有り難い菩薩様です。
一般には「子どもを守ってくれる仏様」といわれていて、赤いよだれかけをつけ、お菓子などがお供えされることが多いのはそのせいのようですが、実はお地蔵さんは他にも様々な役割を担っています。
「子安地蔵」「水子地蔵」「とげぬき地蔵」などはよく聞くところですが、「首なし地蔵」「しばられ地蔵」「腰折地蔵」「足切り地蔵」「あごなし地蔵」「目洗い地蔵」「化粧地蔵」「味噌なめ地蔵」「蕎麦食い地蔵」などなどなど、お地蔵さんはその時々の状況によって七変化し、それはもうありとあらゆる災厄から我々を守り助けてくれているのです。
また、お地蔵さんには集落を守る「道祖神」としての一面もあるとか。
いわれてみればこの【粕谷村地蔵尊】もそうですが、確かに街中で見かけるお地蔵さんは交差点に建てられていることが多いような気がします。
こちらは、立派な石碑に刻まれた来歴。
そもそもは飢饉などに苦しんでいた人々によって、元禄時代に建立されたものらしいです。
何とも歴史のある地蔵尊なんですね。
でも「もう少し詳しく知りたいなぁ…」と思ってこちらを読もうとしたら…
縦書きなのか横書きなのかわからない。。。
字間と行間のバランスを見ると、どちらかといえば縦書きっぽいんですけど、よ〜く見たら…
横書きでした!!
普通こういうものは縦書きだと思うんですが…。
いえ、それより何よりどうしてこういう文字組になってしまったのでしょう。
読みにくいことこの上ないので正直ちょっと挫けましたが、頑張って読んでみるとこの地の遍歴が詳細に綴られており、またここが粕谷の中心地であるということがわかりました。
さてそろそろちゃんとお参りを…と。
おっ、おみくじが売られています!!
無人販売です。
おみくじって、初詣とかの特別な時に引くものですよね、普通。
でもこうした街中の地蔵尊にあるということは、この日のボクのように、何でもない日常の中で通りすがりに何となく引けてしまいますね。
「今年一年の運勢を…」なんて感じに構えることなく、実にさらりと。
よし。
50円と書いてありましたが、細かいのがなかったので100円入れることにします。
何しろ、それはそれは気が遠くなるほどの長い年月、八面六臂の活躍を続けていらっしゃるお地蔵様におうかがいを立てるのですから、これくらいは当然です。
そして引き戸の中のおみくじを引こうとしたら…
ガラスに書かれた白い文字が、またまた何だか変な具合。
と思ったら、ああ、これは引き戸が逆になってしまっているだけですね。
ともあれ、1枚引きました。
末吉です。
吉は吉ですが、「末」です。
末等です。
でもその割には内容は悪くありません。
というか、けっこう良い感じです。
争事(あらそい)のところだけ「初は負けます」となっていますが、「初は」ですから、きっと後で勝つんでしょう。
100円入れたからかな。。。
な〜んて心の隅でちょっと思ったりもしましたが、いえいえ、もちろんそんなことはないでしょう。
と、ここで「はて、おみくじというのはそもそもどういうものなんだろう」と気になり、ググってみました。
すると、「神社本庁」という組織の公式ページにこんな説明が…
神社に参拝した際に「おみくじ」を引き、運勢などを占われた方も多いかと思います。
一般的に「おみくじ」は、個人の運勢や吉凶を占うために用いられているわけですが、種類もいろいろとあり、神社ごとに工夫も窺うことができます。その内容には吉や凶、または大吉・中吉・小吉・末吉という吉凶判断、金運や恋愛、失せ物、旅行、待ち人、健康など生活全般に亙る記述を見ることができます。また、生活の指針となる和歌などを載せているものもあります。
そもそも占いとは、物事の始めにあたって、まず御神慮を仰ぎ、これに基づいて懸命に事を遂行しようとする、ある種の信仰の表れともいえます。例えば、小正月などにその年の作柄や天候を占う粥占神事や、神社の祭事に奉仕する頭屋などの神役を選ぶ際に御神慮に適う者が選ばれるよう「くじ」を引いて決めることなど、古くから続けられてきました。「おみくじ」もこうした占いの一つといえます。
「おみくじ」は単に吉凶判断を目的として引くのではなく、その内容を今後の生活指針としていくことが何より大切なことといえます。また神社境内の木の枝に結んで帰る習わしもありますが、持ち帰っても問題はなく、引いた「おみくじ」を充分に読み返し、自分自身の行動に照らし合わせてみたいものです。
引用:神社本庁
なるほど。
これば神社のおみくじについての説明なんでしょうが、お寺や地蔵尊のものも基本的には同じと考えれば、おみくじというのは占いの一つであり、占いというのは単についているとかいないとかということではなく、今後の暮らしの指針、つまり神様や仏様からのアドバイスとして受け止めるべきだ、ということなんですね。
と、いうことは。
現状でボクにもそれなりにいろいろと気がかりなことがあるわけですが、引いたおみくじの一番最初のアドバイス「願望(ねがいごと)」のところの「すこし時がかかるがかなう」というのは、「多少のことで挫けずに目標に向かってたゆまず努力しろ」と解釈するべきなんでしょう。
うん、きっとそうだ。
お地蔵さんが励ましてくださっているんだから、頑張らねば!!
何となくそんな気持ちになってきました。
うんうん、いいですね、おみくじ。
本人の心持ち次第といってしまえばそうですが、そもそも世の物ごとというのはすべからくそういうものですから、ならばおみくじだって自分にとってよりプラスになる方向に受け取ればいいのではないでしょうか。
ちなみに少し調べたところでは、おみくじの効力というのは直近で引いたものにあるそうで、引く回数やスパンは特に決められていないとか。
とはいえ、1日に何度も何度も引いたりしたら何が何だかわけがわからなくなりますから、そこはまあ、ほどほどに。
それにしても、粕谷にお住まいの皆さんはちょっと羨ましいですね。
いつでも気軽にこの【粕谷村地蔵尊】のおみくじを引けるんですから。
悩みというのは日常の中にこそあるわけですから、このコンビニエントなおみくじは、おみくじというものの本来あるべき形といえるかもしれません。
ということで、【粕谷村地蔵尊】のおみくじ。
自分の中の問題意識を改めて見つめ直すちょっとしたきっかけになるように思います。
さて。
最後に、引いたおみくじを所定の場所に結びつけてから改めてお地蔵さんに手を合わせ、通りすがりのプチ参りはおしまい。
それにしても、どの位の頻度で片付けられているのか知りませんが、周囲がきれいに清掃されているところを見ると、この結びつけられたおみくじの数からして、ここはかなりたくさんの方々に信仰されている地蔵尊のようですね。