記憶にある限り、初めて飲み干したラーメンのスープ。それは、最後の一滴まで熱かった。千歳烏山【中華そば 榮じ】

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ある土曜の昼下がり、その店のドアを開けて中に入ると店内は満席であった。
さらに、待ち客が2人。


本来は食べ物のために並ぶことを良しとしないのだが、ここは千歳烏山の人気ラーメン店【中華そば 榮じ】。
致し方なし、と待つことにする。

天高のある空間に漂う、煮干だしの豊かな匂い。
たまらない。
腹が鳴る。

 

気を紛らわすために、ゆっくりと周囲を見回す。

カウンター10席だけのこじんまりとした店構えは、丁寧な仕事を想像させる規模である。

生ビールは、恵比寿。
ほどよいこだわりが感じられる選択だ。

適度に効いている冷房は、待っている間に徐々に汗が引いていくようにと配慮された温度設定か。

いかにも美味しいラーメンを作ってくれそうな壮年の店主、その無駄のない動きに、否応なく期待が高まる。

実際に食べる前に、これだけ揃った条件。
逆に、この内心の興奮を裏切られることを恐れる自分がいる。

 

やがて順番が回ってきて、席に着く。
メニューを見、さらに強くなる警戒心。
あまりにも、シンプルだ。



看板メニューに自信があれば、いたずらにバリエーションを増やす必要はない。
その実直な姿勢が示唆するものは……

知らず、鼓動が早くなる。

いやいやいけない、と自分を戒める。
ここで一切の先入観を捨て去らねば、公正なレポートなど書けるわけがない。

深呼吸を、一つ。

暑い日ではあったが、つけ麺などには目もくれず、スタンダードな看板メニュー、「中華そば」を注文した。
連れは何を思ったか、ワンタン麺にしたようだ。

オーダーを受ける店主の、その気取りのない口調、声音、表情、そして物腰に、必死に平静を装おうとしていた心が揺れる。
このあたりで、有名店にありがちな横柄な接客態度でも確認できれば、と心密かに望んでさえいたのだが、横柄どころかまごころが伝わってくるような応対であった。

己の中でせめぎ合う、膨らみ続ける期待とそれをいさめようとする理性との一進一退の攻防に翻弄されながら、ジリジリと待つこと数分。

目の前に、中華そばがそっと置かれた。

うまいものは、美しい。

それは一つの真理である。

とすれば…
次々と湧いてくる雑念を振り払い、急ぎ箸を割る。

カウンターには胡椒も置かれていたが、煮干だしなので迷わず七味を取り、ふりかける。
そして、まずは透明感のある熱々のスープを一口。

煮干だしの確かな風味。そしてコク。
化学調味料を使わず、天然素材だけでつくられているというその味は、
塩気が抑えられた、やさしくまろやかな仕上がりだ。

 

思わず、ほうっと声が漏れる。

 

続いて啜った自家製の細麺は、国内産の小麦粉が原料。
パスタでいうところのアルデンテに茹で上げられ、湯切りもきっちりとされているため清廉な印象すら残す。

 

これもおそらく自家製であろうチャーシューは、噛むほどにしっかりと肉の甘みを感じる見事な出来栄え。
やや太めで歯ごたえのあるメンマも、スープの味を壊さない控えめな味付けに好感が持てる。

連れのワンタンを、一つもらい受ける。

手びねりされたその可愛らしい姿は食べるに惜しいと思わせもしたが、構わず口へ。
こちらも、肉が甘い。
つるんとした舌ざわりの皮が、また実に好みである。

 

合間につまむ、シャキシャキと新鮮なネギ。
丼の中のバランスを適度に保つ、重要なポジションであろう。

 

食べ終わって、すべては杞憂であったと思い知る。
最初に抱いた期待そのままに、実に満足のいく逸品であった。

 

そしてもっとも驚くべきは、最後の麺や具を食べ尽くすまで、スープが冷めなかったことである。
記憶にある限り生まれて初めてラーメンのスープを飲み干したのだが、それは、最後の一滴までうまさが損なわれなかったためであろうと自己分析をする。

しかも、この中華そば。わずか600円である。

 

もちろん、ラーメンの善し悪しはあくまでも個人の好みによる。
だからこの中華そばがすべての人にとっての正解であるとの保証はできない。

 

ここはぜひ、自分の舌で直接確かめていただきたい、とだけいっておこう。

 

あ〜、おいしかったっ。


 

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