【烏山寺町お庭さんぽ#02】世界的な美人画の大家、喜多川歌麿が眠る寺院【専光寺】

専ら、つまり、ただただ光と書く、大変縁起の良いお名前の専光寺さんのお庭にお邪魔しました。

 

【基本情報】

山号:霊照山

寺号:専光寺(せんこうじ)

宗派:浄土宗

創建時期:1604年(慶長9年)

移転時期:1927年(昭和2年)3月

旧所在地:品川→馬喰町→浅草北松山町

所在地:東京都世田谷区北烏山4-28-1

備考:歌麿寺の異名でお馴染み!ほんとかな?

 

御本尊の阿弥陀如来、ではなく、江戸時代に活躍した葛飾北斎、歌川広重、東洲斎写楽と並んで四大浮世絵師の一人に数えられる喜多川歌麿のお墓があることでお馴染みのお寺。

 

歌麿といえば、繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美追求した美人画の大家でありながら、あんな絵やこんな絵も書き、生年、出生地、出身地など不明というミステリアスな人物。

 

若き頃は狩野派の出で、妖怪画を多く描いた鳥山石燕に師事した後、蔦屋重三郎と組み、化政文化の担い手として大いに活躍。

 

大首絵(おおくびえ)という、現在でいうバストアップの構図をデファクトスタンダードに押し上げた人物です。

ここまで日本史のテストに出るから覚えておくように。

 

以降、我々が衝撃的かつ革新的な構図というものに出会うのは、金田パース、金田ジャンプ、金田光り、金田ビーム、金田デフォルメからなる金田スタイルを生み出した伝説のアニメーター、金田伊功(かねだよしのり)先生を待つよりほかなかったわけです。

 

あの龍の巣の原画も金田先生が担当。来たるバルス祭りに備える意味でも、ぜひいま一度チェックを。

 

 

 

さて、歌麿を美人画の大家にせしめたのは様々な工夫とこだわりの賜物でしょう。

 

背景を省略して白雲母を背景に散りばめたり、モデルは無名の町娘や花魁ばかり選定したり、幕府の取り締まりから逃れるために判じ絵を用いたり…

 

最期は幕府による懲罰と過労がたたり、54歳の若さでこの世を断つことになったそうですが、己のロックな生き様を全うしたナイスガイ、それが喜多川歌麿です。

 

って、やっぱりこんな駆け抜ける生き様は金田伊功先生に重なりやしないだろうか。

 

 

なお、歌麿の墓は、1956年(昭和31年)に東京都旧跡の指定を受けています。

 

大抱き割り茗荷っぽい家紋。木造りなのが渋い。

 

こっちの金属製には花が咲いています。変わり茗荷かな。

 

蓮池院の名を持つ専光寺の池にはビュンビュンかっ飛びそうなボートの模型と、人が寄ると口をパクパクさせながらおねだりする錦鯉。

 

400年以上続く由緒あるお寺!

 

屋根にはソーラーパネルも完備!

 

とっても老舗感のあるお寺だけに、終活を始めることになってもなかなか手が届かないかもしれませんが、こんな静かなお寺さんは良いですね。

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